人をジャッジしてしまう癖は、やめようとするほど強くなる
こんにちは。
ヨガコーチングの阿部海渡です。
「私は、
やりたいかどうかではなく、
いいか悪いかで物事を決めてしまう癖があるんです」
受講生の方から、
こんな相談をいただきました。
自分の感情や選択について、
いつも「正解かどうか」で判断してしまう。
その基準は、
自分だけでなく、
周りの人にも向いていきます。
生徒さんの態度。
同業のヨガ講師の発信。
家族の言動。
「それは違うでしょう」と、
心の中で判決を出してしまう。
そして、
そんな自分にも疲れてしまう。
もっと寛容な人になりたいのに、
どうやめればいいのか分からない。
今日は、
この悩みについてお話しします。
結論から言うと、
ジャッジは、やめようとして止まるものではありません。
裁いている自分を裁かずに、まず許すこと。
そして、「自分は正しくないかもしれない」と思えること。
この2つで、
ジャッジは少しずつほどけていきます。
なぜそう言えるのか、
原因から順番にお伝えします。
ジャッジしてしまう原因は、自分に向けている厳しい基準

人をジャッジしてしまうとき、
その矢印は相手に向いているように見えます。
でも、
もとをたどると、
同じ基準がまず自分に向いています。
「ちゃんとしなければいけない」
「期待に応えなければダメだ」
「間違えてはいけない」
こうした厳しい基準を
自分に課していると、
それができていない人を見たときに、
心の中で罰をつけてしまいます。
鏡のようなものです。
自分をジャッジしている分だけ、
他人もジャッジしてしまう。
ですから、
人を裁く癖は、
性格が悪いから出てくるものではありません。
自分に厳しく、
真面目に生きてきた人ほど、
出やすいものなのです。
正義感が強いことも、
悪いことではありません。
正しくありたいという気持ちは、
生徒さんに誠実に向き合う力にもなります。
ただ、
その正しさが
「いいか悪いか」の判決に変わったとき、
自分も周りも苦しくなっていきます。
心の中に、小さな裁判官がいる

ジャッジしている状態のことを
私は
「心の中に、小さな裁判官がいる」
とお伝えしています。
何かが起こるたびに、
その裁判官が
「これは正しい」
「これは間違っている」
と判決を言い渡している状態です。
ここで、
多くの方がやってしまうことがあります。
それは、
この裁判官を裁こうとすることです。
「人をジャッジするなんて、私はダメだ」
「もっと寛容にならないといけない」
一見、
反省しているように見えます。
でも、
これもまたジャッジです。
裁いている自分を裁くと、
今度は
「ダメな裁判官を裁けている私は正しい」
という形で、
エゴのエサになってしまいます。
そして、
裁く → 裁く自分を裁く → また裁く、
というループに入っていきます。
ジャッジをやめようとするほど
ジャッジが強くなるのは、
このためです。
ジャッジをほどく1つ目の考え方は、裁判官のママになって見ること

では、
どうすればいいのか。
裁判官を裁くのではなく、
裁判官のママになったつもりで
見てみてください。
ママから見たら、
裁判官になっている我が子に
判決はありません。
あるのは、
愛だけです。
「また判決を出しているね」
「一生懸命、正しくあろうとしているんだね」
そうやって、
裁いている自分を
少し離れたところから
愛をもって眺めます。
これが、
許しです。
何回裁いてしまっても、
かまいません。
何万回裁いても、
最後に許せばいいのです。
大切なのは、
順番です。
許すことができて、
はじめて、
変えることができます。
許しの段階を飛ばして
いきなり変えようとすると、
「変えられない私はダメだ」と
また裁判が始まってしまいます。
まず許す。
変わるのは、
そのあとです。
2つ目の考え方は、「これはジャッジだな」と観て終わらせること

日常の中で
ジャッジが出てきたときは、
頭の中で
「これはジャッジだな」と
観るだけで十分なことがほとんどです。
これは、
怒りのような
ネガティブな感情の扱い方と同じです。
軽いものは、
「怒りだな」
「ジャッジだな」と観て、
感謝に持っていければ、
そこで終わりです。
一方で、
大事な人に対して
何度も同じ判決を出してしまうような
根深いジャッジもあります。
こういうものは、
奥にある信念まで見つけて変えないと、
また同じように裁いてしまいます。
そういうときは、
陰ヨガで
意識の深いところまで潜って、
自分と対話します。
私はこれを
小さなスコップと
ブルドーザーの使い分けだと
お伝えしています。
小さなスコップで済むものは、
観て終わらせる。
ブルドーザーが必要なものは、
時間をとって深く潜る。
すべてのジャッジを
一度に掘り起こさなくて大丈夫です。
ネガティブな感情との付き合い方は、
こちらの記事でも詳しくお話ししています。
→ ネガティブ感情は悪ではない|怒りを成長の力に変えると、本来の光が表に出てくる
3つ目の考え方は、「自分は正しくないかもしれない」と思ってみること

ふつうは、
「正しくないといけない」と思っています。
一流と呼ばれる人ほど、
「自分は正しくないかもしれない」と
思っています。
この違いは、
とても大きいです。
「正しくないといけない」と思っていると、
自分と違う考えに出会ったとき、
相手を間違いにするしかありません。
自分が正しい側にいないと、
不安になるからです。
一方で、
「自分は正しくないかもしれない」と
思える人は、
違う考えに出会ったときに、
こう考えることができます。
「この人には、
私に見えていない何かが
見えているのかもしれない」
そうすると、
判決を出す前に、
相手に興味がわいてきます。
ジャッジは、
「自分は正しい」という場所に
立っているときに出てきます。
その場所から
一歩降りるだけで、
見える景色が広がります。
寛容になるというのは、
我慢して相手を受け入れることではありません。
自分の正しさを
いったん脇に置いて、
相手の世界を見てみることです。
裁かずに観察できると、起きていることに感謝できるようになる

いいか、悪いか。
正しいか、間違っているか。
こうして物事を二つに分ける見方のことを
二元論といいます。
ジャッジは、
この二元論から生まれます。
ヨガの練習は、
この二つに分ける見方から
少しずつ距離をとる練習でもあります。
体の感覚や心に浮かぶ考えについて、
「これはダメ」と裁かずに、
ただ観察する。
陰ヨガのポーズの中で
これを続けていると、
日常の出来事も
同じように観察できるようになっていきます。
裁かずに観察できるようになると、
気づくことがあります。
腹が立った出来事も、
許せなかった相手も、
実は自分の内側にあったものを
見せてくれていたということです。
そう気づけると、
起こっていたことに
感謝して生きられるようになります。
ジャッジを無理に止めようとしなくても、
観察する力が育つにつれて、
判決を出す回数そのものが
自然と減っていくのです。
私がビジネスの師匠に指摘してもらって手放したジャッジ

ここで、
私自身の話を少しさせてください。
私は以前、
お金をたくさん稼いでいる起業家は、
悪いことをしているとジャッジしていました。
自分では
そのジャッジに気づいていませんでした。
ビジネスの師匠に指摘してもらって、
はじめて気づいたのです。
ビジネスをしていく中で、
あることが分かりました。
お金を稼げているということは、
お金を払ってもらうくらい、
お客様に喜んでもらえているということです。
お客様が欲しいものを差し出さないと、
お客様は、
お金を払ってまで欲しいとは思いません。
これを理解したときに、
「稼いでいる人は悪いことをしている」という
ジャッジを手放せるようになりました。
誰かを裁く基準は、
自分にも向きます。
「稼ぐ人は悪い」という基準を持っていたら、
自分がお金を受け取ることにも
ブレーキがかかってしまいます。
このジャッジを手放せたことで、
お金で悩んでいるヨガ講師さんのことも
心からサポートできるようになりました。
お金を受け取ることへの
罪悪感については、
こちらの記事でもお話ししています。
→ 「罪悪感」から自由になったヨガ講師を1人でも多く増やしたい。
ジャッジを手放すと、生徒さんとの関係も変わっていく

最初の悩みに戻ります。
人をジャッジしてしまう癖は、
どうやめればいいのでしょうか。
まとめると、
次の3つです。
1つ目は、
裁いている自分を裁かずに、
裁判官のママになって許すこと。
2つ目は、
軽いジャッジは
「これはジャッジだな」と観て終わらせ、
根深いものは
陰ヨガで奥の信念まで潜ること。
3つ目は、
「自分は正しくないかもしれない」と
思ってみること。
ジャッジがほどけていくと、
生徒さんの見え方も変わります。
レッスンに遅れてくる生徒さん。
言われたとおりに練習しない生徒さん。
これまでなら
「それは違う」と
心の中で判決を出していた場面でも、
「この方には、
何か事情があるのかもしれない」と
興味を向けられるようになります。
裁かれないと感じた生徒さんは、
本当の悩みを
話してくれるようになります。
そして、
自分にお金を払ってくれるお客様のことも、
裁かずに受け取れるようになります。
裁く自分ごと許せたとき、
ヨガ講師としての器が
ひと回り大きくなっていきます。
ぜひ、
今日から1つ、
試してみてくださいね。
よくある質問
- ジャッジしてしまったあと、すぐに自己嫌悪になってしまいます。どうすればいいですか?
-
自己嫌悪も、裁いている自分を裁いている状態です。そこでさらに「自己嫌悪になる私はダメだ」と重ねると、ループが続きます。「また判決を出したね」「正しくあろうとしたんだね」と、裁判官のママになったつもりで眺めてみてください。何回裁いてしまっても、最後に許せば大丈夫です。
- 正しいことは正しいと言わないと、ダメな気がします。寛容になるとは、何でも許すことですか?
-
何でも受け入れて黙ることではありません。伝えるべきことは伝えていいと思います。違いは、「自分は正しい」という場所から判決を出すのか、「自分は正しくないかもしれない」と思いながら相手に興味を向けて話すのか、です。後者のほうが、相手に届きやすくなります。
- 何度観ても、同じ人に対するジャッジが消えません。
-
同じ相手に何度も同じ判決を出してしまうなら、奥に根深い信念があるサインです。小さなスコップではなく、ブルドーザーが必要な場面です。陰ヨガなどで時間をとって意識の深いところまで潜り、「なぜ、私はこの人のこの部分が許せないのか」と自分に聞いてみてください。その奥に、自分自身に課している厳しい基準が見つかることが多いです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ここまで読んでくださったあなたは、
人を裁かずに、
もっと温かく生徒さんと向き合いたいと
思っている方なのではないでしょうか。
もし、
ジャッジを手放したヨガ講師が、
お金を受け取ることも自分に許せたら。
生徒さんの本当の悩みに寄り添いながら、
ヨガを本業として
続けていけるようになります。
ただ、
自分がどんな基準で
自分や人を裁いているのかは、
自分ひとりでは
なかなか気づけません。
私自身も、
ビジネスの師匠に指摘してもらうまで
気づけませんでした。
そこで、
本気でヨガを本業にしたい方のために、
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課題提出制で、
提出していただいた課題をもとに、
ヨガで稼げない根本原因を
私が直接、診断していきます。
あなたひとりでは見えなかった場所について、
メールのやりとりを重ねながら
一緒に照らしていきます。
最初の一歩として、
ここから始めてみてください。
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